前回紹介した最後の投稿(吉本敏洋氏への反論投稿)を行った「なかむら(う)」氏は、それに先だって自分のブログ「丁稚な日々」で吉本氏への反論を行っていた。以下、その記事の引用である。
このブログ記事は、吉本氏の論点の誤りを鋭く指摘していると考えてよい。May.22,2006 (Mon)
Revision: 1.4 (May.22,2006 12:28)◆釣られてみる
_ [ruby-list:42243]がruby-listで議論すべき内容という気はまったくしない(ので直接返信はしない)んだけど、せっかくなので釣られてみる。
一開発者の感想、ということで。
以下、引用は全て同メールから。
さて、今回ポストしたのは、Matz氏が日記において、自らが所属するカルト宗教宣伝・広告活動に見えませんし、そう思っていません。
団体である「モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)」の宣伝・広告活動
を行っていることの是非についてです。
... いきなり終わっちゃうな、これじゃ。
これは、元々2ちゃんねるのRubyスレで始まった議論ですが、私は
a) rubyistドメイン上で、
b) メイン開発者が、
c) カルト宗教団体とみなされる事の多い団体の
d) 宣伝活動を、
e) たとえ日記と言う形においてでも行うことは、
f) Rubyの発展にとっては阻害要因にしかならない。
と思います。
- ドメイン名の所有者が自分のドメインで何をやろうが勝手だろうと思うのですが、rubyist.netの場合、わざわざRubyのオフィシャルな 活動のためにruby-lang.orgを用意した上で、さらに別にrubyist.netをその他の用途のために用意しているわけで、そこにまで文句を 言う必要はなかろうと思います。
- サブ開発者ならオッケー?
- 「カルト宗教団体」の定義は人による面も多くてなんとも言いかねるのですが、現在の末日聖徒イエス・キリスト教会はカルトではなかろうと私は判断しています。
ユタ戦争のころまでなら私でもカルトだったと判断するんですけど。- 宣伝活動もわかりやすいのからわかりにくいのまでいろいろあるわけですが、自分とこの教会がどこの教会かすら示してないのに何の宣伝になるんでしょう。どっかに書いてあったっけ?
- 日記なんだから何書いてもいいじゃん。
- 以上から、Matz日記の内容は別に阻害要因にはなっていないと考えます。
本質的には、宗教と関係あろうがなかろうが、あるいはRuby自体について書いている内容ですら、「Rubyの発展」にとっての阻害要因になりうる可能性はありますけど、そういう漠然とした話ではないでしょうからそういう部分はオミットして考えます。c)が特定の企業であっても、少なからず嫌悪感を抱く人はいるでしょうけど、こプラス要因は特に思いつかないですし、こんな話を持ち出す人もいるんだからマイナス要因はゼロじゃないんだろうとも思うので、後者の方が大きいのではないかとはという予測には私も同意できますが、いずれにせよ無視してかまわない程度なんじゃないかとも思います。
れが宗教団体、しかもカルト宗教とみなされることが多い団体であれば、嫌悪感
を抱き関係を持ちたくないと考える人が、より多くなるのは当然です。少なくと
も、モルモン教の話題を出すことによるプラス要因とマイナス要因では、後者の
方が大きいかと思います。
そこで、Rubyの一利用者としては、rubyistサーバー上から、モルモン教に関すなんでそんなにrubyist.netでやっちゃいけないことにしたがるのかが私にはわからないんですが、特定の政党や宗教との分離を利用のガイドラインに含めること自体が既にオープンソース的ではないと私は考えます。
る記述を全て削除し、別の日記として公開すべきだと思うのですが、どうでしょ
うか?
それとともに、rubyistサーバーやRAA利用のガイドラインとして、特定の政党や
宗教との分離を掲げる方が良いのでは無いかと思いますが、いかがでしょう?
なお、MLに投稿した動機についてですが、Matz氏の日記にコメントを行ったとこどんなコメントを書いたのか知らないですが、個人の日記は「オープンな議論を行う」サイトじゃないですしねえ。
ろ、予告もなしに一方的に削除されたため、「Matz氏はオープンな議論を行う気
が無い」と判断したからであり、公平性を担保するためです(別に、自分のサイ
トでも良かったのですが、とりあえず)。
削除したということすら書かれてないのかと思ったら、そういうわけでもなさそうですし。
コメントの一括削除はスマートな行為ではないと私も思いますが、自分とこの日記のコメント欄で意図しない議論が行われていたら削除しちゃうってのはごく普通の対応であろうと私は思います。
ちなみに、「Matz氏の日記にコメントを行ったところ、予告もなしに一方的に削除された」と吉本氏が主張したところ、 「削除したということすら書かれてないのかと思ったら、そういうわけでもなさそうですし」と書かれている。
該当する日記は、「Matzにっき 2006-05-07 [教会]断食安息日」のようだ。
_ [教会]断食安息日
司会。
一人の人の証が印象的であった。 最近バプテスマを受けたこの人は 「私は教義よりもむしろ教会の人の人となりを見て教会に入りました。 聖書についてはこれから勉強します」とのこと。
それって、すごく嬉しいことだが、同時にちょっと恐いことでもある。 私たちの行いが教会やキリスト教を代表していることになるからだ。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。[マタイ 7:20 より引用]夕方、次女がふらふらになっている。 そんなにしんどいなら断食しなくてもいいよ、と言ったのだが、 一度決めたから、と聞かない。
決意が堅いのは尊敬に値するけど、 そんなに無理をすることも無いような気もする。 あと、半日でそんなにふらふらになるようでは 本当に飢餓が来たらどうなるんだろうか。
個人のブログなり日記が開設者自身の管理下にあることを踏まえれば、削除の理由はもっともなものだと思える。不愉快に感じるような読者が想定されるようなやりとりをする相手の意見を削除するのは致し方ないことだろう。(追記) 元々この「にっき」では教義的な話をしないつもりでいたのですが、コメントでは質問されるままにかなり難しい話を書いてしまいました。しかも、私の至らな さで前提を共有しない人にはかえって混乱を招いたり、誤解を増長したりする返答になってしまったようです。不愉快に感じた方がいらっしゃればおわびしま す。コメント欄は削除することにします。 以後、教義的な点について話したい、指摘したい、などの人がいれば、コメント欄ではなく私信でお願いします。
(おそらくコメント欄では、「お前はキリスト教というがカルト教団モルモン教じゃないか」というような指摘を行ったものの、反駁されたのだと思われるが、これはあくまでもメーリングリストでのやりとりからの推測にすぎないので断定はできない)
だが、ここに吉本氏のもう一つの矛盾が現れる。吉本氏は「他人の日記にコメントを行ったところ、予告もなしに一方的に削除された」ことから、その相手は「オープンな議論を行う気が無い」と判断したと述べている。
では、吉本氏が自分のコメント欄を「荒らされた」と主張して(あるいは主張もせずに)コメントを削除し、さらに「ストーカーに荒らされました」というブログ記事を立てるのはどうなのか。吉本氏は「オープンな議論を行う気が無い」のだと我々は判断せざるをえない。
参照→最近、ネットストーカーが発生してコメント欄を荒らしています
リモートホストなどの接続情報は提示するが、具体的にどのような内容が「荒らし」なのかはわからないようにしておいて、「ネットストーカーに自分は攻撃されている」という被害者商法を展開する。これは「コメントを予告もなしに一方的に削除」したのではないのか。
いや、「荒らし」なら仕方ないだろう、という声もあろう。もちろんspamであれば削除すればいい。だが、spamではなく「ネットストーカー」というのだから、自分に批判的な内容のはずだ。もちろん、自分にとって不快なコメントを削除する権利は誰にでもある。しかし、その権利を行使するなら、「自分のコメントが予告もなしに一方的に削除」されたことを憤り、相手に対して「オープンな議論を行う気がない」と決めつけ、メーリングリストに怒りに任せて投稿した挙げ句、四方八方から槍玉に挙げられるようなマネをするべきではないと考えるのは私だけだろうか。
ちなみに、削除されたというコメントにはこのようなものがある、という情報もある。
http://blog.a902.net/topics/2013/0129.html
http://blog.a902.net/topics/2013/0530.html
http://blog.a902.net/topics/2013/0820.html
→ 結局、どの事件も相手方の主張が認められ、仮処分命令が発令されたんだって?
自分に都合の悪いことは書かない吉本敏洋( ´_ゝ`)プッ
https://twitter.com/a902/status/374382849505239040これに対して、コメントを書き込んだと思われる人物は次のように述べている。
→ またも敗訴したんだって?
自分に都合の悪いことは書かない吉本敏洋( ´_ゝ`)プッ
自分を批判するコメントが書かれるたびに、以上の「削除されたというコメント」は2ちゃんねる情報であるから信憑性は高くないが、少なくともこのコメント者の言い分に賛同したい。
”ネットストーカーによるコメント荒らし”と
もっともらしい理屈を付けては削除している。
全てのコメントを放置するか、書き込みを禁止するか、どっちかにすれば良いのに、
一番やってはいけない「恣意の選択」を行っている。
「ネット上の表現の自由」と称して、好き勝手に他者の情報を晒し続けてきた吉本なのに、
完全に自己矛盾している。
最後に念のため補足しておくが、この「ネットストーカー」とされた人物はこのブログの書き手ではない。a902ブログに投稿したことは一度もない。足跡を残せば吉本敏洋氏に「ネットストーカー」呼ばわりされて名誉毀損されることは目に見えているからだ。
自分への批判者を少なく見積もるのは、あるいは、そのようにギャラリーに印象づけようとするのは、吉本氏のいつもの悪い癖である。
この項続く。
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