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悪徳商法?マニアックス管理人Beyondこと吉本敏洋氏の掲載された新聞記事

悪徳商法?マニアックス管理人Beyondこと吉本敏洋氏は、以下のように主張している。

@nifty(アット・ニフティ)から、削除要請が来ました 2013.06.09
最近、過去の新聞記事を引用したブログ記事に対する削除要請が増加しています。
正確な論評のためには、ソースを提示することは欠かせませんが、ソースを提示すると下手するとブログを停止されたり訴えられたりする可能性があるということです。

そもそも、新聞記事を公開するのに、図書館はOKでネットは駄目というのも変な話です。「グーグルで検索されて困る」というのでしたら、検索できないようにする法制度を作るなり、検索エンジン会社への働きかけを行うべきです(たとえば、10年経った新聞記事は、名前検索で検索結果に表示しないようにするとか。固有名詞を判別することなんてグーグルの技術力を持ってすれば簡単でしょう)。
では、「自分で実名を公開しているのに、実名を含むブログ記事やtogetterまとめを八分しようとし、実名を含むツイッターアカウントに改名を強要した」吉本敏洋氏についての新聞記事を引用したとしても、吉本氏は抗議しないはずだ。正確な論評のためには、ソースを提示することは欠かせない。

そこで、図書館で新聞の縮刷版をコピーしてきたので、それを転載したい。これに対する削除依頼は、吉本敏洋氏が上記の考え方を全面撤回し、サイトの方針をすべて転換したならば応じてもよいが、「他人についての新聞記事を公開するのは個人的コレクションだから問題がないが、自分についての新聞記事を公開するのは個人情報の侵害だ」などというような主張には耳を傾けるつもりはない。

問題の記事は、吉本氏がしばしば目の敵にする朝日新聞2006年5月1日朝刊の第二社会面である。



  「ビヨンド」を名乗って活動してきた自分への「殺人予告」だ。昨年1月のことだった。
 …東京都のプログラマー吉本敏洋さん(33)はぞっとした。
 そういえば、ネット上で8カ月ほど前から「ビヨンド」の情報を募る書き込みが出始めていた。
 04年1月。サイトで「悪徳探偵社」と名指しされた人物が「誹謗中傷だ」と実名の削除を求めてきた。断った。
 吉本さんは昨年8月、自宅に監視カメラを取り付けた。
「ビヨンド」を名乗り、 2006年5月1日現在で33歳のプログラマー吉本敏洋さんについての記事である。もちろん、脅迫などは決してしてはならないことだが、この記事を読む限り、脅迫される側が「匿名だし、自分は正義だから何をやってもいい」と勘違いしていることも読み取れてくる。 単純な「どっちもどっち」論には加担しないが、吉本氏に限っては、脅迫されても仕方のないような悪事を、正義の仮面のもとで行い続けているのではないかと考えるが、読者諸賢はいかがだろうか。

吉本敏洋氏に敵認定されたRuby開発者まつもとゆきひろ氏(3)

吉本敏洋氏に敵認定されたRuby開発者まつもとゆきひろ氏(1)
吉本敏洋氏に敵認定されたRuby開発者まつもとゆきひろ氏(2)
の続き。

この件につき、はてなブックマークでは悪マニBeyondこと吉本敏洋氏に対する批判的な意見が寄せられている。


ネット内で(それなりの)影響力があると思われる人物が宗教と絡んだ瞬間に、恩人であろうと何だろうと噛みついて、「有名人の闇を暴いた英雄」だと思ってもらおうという吉本敏洋氏の魂胆は別にして、ひとまず吉本氏の主張が「ハズしてる」ことを改めて見ていきたい。

まず、吉本氏の言葉遣いである。以下、いずれも吉本氏の今回の議論の中での発言だ。

  • MLに投稿した動機についてですが、Matz氏の日記にコメントを行ったとこ ろ、予告もなしに一方的に削除されたため、「Matz氏はオープンな議論を行う気 が無い」と判断したからであり、公平性を担保するためです
  • 管理者側の方々と議論しても勝てるわけないし、勝つつもりも無い
  • 批判されて感情的になるのは分からないでも無いですが
  • とか言われても、意味不明です。 
  • モルモン教を批判すると言うことはすなわち、「血の贖罪」によって殺される可能性も無きにしもあらずと言うことです。それでも、匿名で参加しないのは、反カルトと言う「立場」を明らかにしなければ、卑怯だと思うからです。こちらは「モルモン教は利益を受ける」と主張しているのですから、最低限モルモン教徒かどうか明らかにしていただかないと、どう対応してよいのか分かりません。
  • 何を持って「根拠が乏しい」と言われているのか謎です。単に想像力等が足りない方なのか、それとも団体の関係者だから、そう言っているのか区別が付きません。
これらの発言は、「クレーマー」としては正しい物言いなのかもしれないが、特に太字にした部分は「議論」としては非常に挑発的かつ感情的なものであり、到底冷静な議論に結びつく言い方ではない。これが、ナチュラルに「頭でっかちの嫌味」を連発する吉本氏のいつもの物言いである。

次に、氏の挙げた「問題点」とやらを検証する。

Matz氏が日記において、自らが所属するカルト宗教
団体である「モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)」の宣伝・広告活動
を行っていることの是非についてです。
 問題提起の段階で二つの問題がある。

  1. 「モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)」は「カルト宗教」なのか。
  2. まつもとゆきひろ氏が日記で記載したことは、同教団の「宣伝・広告活動」なのか。
これは二点とも、すでに見たように、非モルモン教徒であることを宣言した人たちによって完全否定されている。

そもそも、吉本氏は「宗教団体、しかもカルト宗教とみなされることが多い団体」であるからダメと主張している。カルト宗教の定義もできず、またモルモン教がカルト宗教であるという理由も明確に示さず、ただ単に「みんながそう言ってる」としか述べていない(しかも、「みんなが言ってるんだから正しい」→「それを否定するのはモルモン教徒だろお前」という、誤った論理に走っている)。

1については、「なかむら(う)」氏が指摘しているとおり、「現在の末日聖徒イエス・キリスト教会はカルトではなかろうと私は判断しています。ユタ戦争のころまでなら私でもカルトだったと判断するんですけど。」 という見解は妥当であろう。ちなみにユタ戦争はモルモン教団とアメリカ陸軍の内戦で、1857年、今から150年以上前のことである。(ユタ戦争 - wikipedia

アメリカ発祥の宗教なのでピンと来にくいが、吉本敏洋氏が述べているのは要するに、僧兵を擁した比叡山延暦寺や、戦国時代に圧倒的軍事力を誇った一向一揆の浄土真宗を「カルト」と決めつけているのと同様の、乱暴な議論なのである。

第二に、まつもとゆきひろ氏は日記で、教団の名前も出さず、特殊な教義用語も持ち出さず、「私たちの行いが教会やキリスト教を代表していることになる」という、「何らかの宗教の真摯な信仰者」としての感想を述べているに過ぎない。これをもって「宣伝・広告活動」というのは、二重の意味で論理破綻である。教団の名を出さない(吉本氏が嫌がらせのように教団名をコメント欄で書かない限りわからない)ものがそもそも「宣伝・広告」に当たるのか。また、このような内省的な言葉が「宣伝・広告活動」に当たるのか。単なる信仰心に基づいた記述であり、勧誘さえも見られない。さらに、子女の行きすぎた思い込みを咎める内容でもある。

このように、吉本敏洋氏の論点は、前提からして完全に崩れ去るのである。

吉本氏の批判をもう一度引用しよう。
 a) rubyistドメイン上で、
 b) メイン開発者が、
 c) カルト宗教団体とみなされる事の多い団体の
 d) 宣伝活動を、
 e) たとえ日記と言う形においてでも行うことは、
 f) Rubyの発展にとっては阻害要因にしかならない。
と思います。
再度の投稿で吉本氏は「b)作者」と訂正している。

a)は、rubyistドメインがrubyの公式のものではなく、まつもとゆきひろ氏の私的なドメインであることが明らかにされている。吉本氏はこれにも難癖をつけるが(後で検証する)、 rubyの作者とわかるところで宗教的な話をするな、というのでは、それこそ表現の自由・信教の自由の侵害にほかならない。

b)は、まつもとゆきひろ氏がモルモン教の信仰を有していることそのものを批判しているといえる。ただ、まつもとゆきひろ氏が仮にモルモン教をやめたとしても、吉本氏は批判し続けるはずだ。「元モルモン教徒という珍しい経歴の持ち主のまつもとゆきひろ氏」と書いて揶揄し、まつもと氏の発言には価値がないと宣伝し続けるはずである。吉本氏は、「人の考えは変わらない」という恐るべき思想の持ち主だからである。これは、このブログの他の記事を読めば理解されるはずだ。

c)はすでに上で批判した。「みなされる事の多い団体」であるかどうかで判断するというのであれば、事実がどうかという検証を放棄し、実態を見ることを拒絶したと見なされても仕方あるまい。

d)も上記で批判したとおり。「宣伝活動」の定義が曖昧である。まさか、「まつもとさんはrubyの偉い人である→宗教的な話を書いていた→なんだか素敵だからまつもとさんの教会に行ってみよう→モルモン教に入信」とでもいうような「風が吹けば桶屋が儲かる」的な誤った論理に基づいて「宣伝だ!」と言っているのではないと思うが、もしそのように主張するのであれば、実際にそのような意図があったのかどうか、あるいはそのような入信者がいるのかどうかを検証する方が先だろう。

e)は、仮にa~dが吉本氏の言うとおりであったとしても、表現の自由の否定である。表現の自由を守るために戦っていると自称する人物が、他人の表現の自由を平然と踏みにじるのは、大いなる矛盾であり、根本的な自己否定であり、人として許される行為ではない。この「自己正当化」と「他者の絶対的否定」は、吉本敏洋氏の行動の根幹をなしている。

f)については、すでにRubyユーザーたちによって完全否定されている。そもそも、吉本氏がコメント欄やブックマーク等で「まつもとゆきひろは、キリスト教徒といいながら、実態はカルト教団モルモン教の信者、カルト信者ですよ!そんな人が、Rubyの名前の入ったドメインで、日記と称して教団の宣伝活動をしていますよ!危険ですよ!Rubyから排除しましょう!」と英雄気取りで叫び回らなければ、モルモン教の宣伝であることすら気付かれず、多くの人がそのような宗教的日記をさらりと読み飛ばして気にも留めなかったはずだ。

ある意味、吉本氏によるマッチポンプによって、「外国発祥のキリスト教系新興宗教の信者であることを表明もせず、ただ私的ドメイン上の日記に書いていただけ」のまつもとゆきひろ氏が、「自らの名声を利用して悪徳カルト宗教団体の宣伝行為を行う危険人物」に仕立て上げられたのである。

この吉本氏の行為のどこにも、正義はなく、正当性もない。この吉本氏の主張からわかるのは、吉本氏が短絡的な決めつけに基づいた嫌味な他者否定をする人だ、ということだけである。

このような破綻した言いがかり、粘着に対して、Rubyユーザーたちがこぞって「それは違うでしょ」と声を上げたのも当然といえば当然であり、それはすでに引用した部分で理解されるはずだ。それに対して、「批判されて感情的になるのは分からないでも無いですが」((C)吉本敏洋)、もう一度メーリングリストに意味不明かつ感情的な反論を展開したのも、すでに見たとおりである。

次回は、この「反論」について考察し、まつもと氏への粘着攻撃事件の締めくくりとしたいと思う。

吉本敏洋氏に敵認定されたRuby開発者まつもとゆきひろ氏(2)

前回の「吉本敏洋氏に敵認定されたRuby開発者まつもとゆきひろ氏(1) 」の続き。

前回紹介した最後の投稿(吉本敏洋氏への反論投稿)を行った「なかむら(う)」氏は、それに先だって自分のブログ「丁稚な日々」で吉本氏への反論を行っていた。以下、その記事の引用である。

May.22,2006 (Mon)

Revision: 1.4 (May.22,2006 12:28)

釣られてみる

_ [ruby-list:42243]がruby-listで議論すべき内容という気はまったくしない(ので直接返信はしない)んだけど、せっかくなので釣られてみる。
一開発者の感想、ということで。
以下、引用は全て同メールから。
さて、今回ポストしたのは、Matz氏が日記において、自らが所属するカルト宗教
団体である「モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)」の宣伝・広告活動
を行っていることの是非についてです。
宣伝・広告活動に見えませんし、そう思っていません。
... いきなり終わっちゃうな、これじゃ。
これは、元々2ちゃんねるのRubyスレで始まった議論ですが、私は
a) rubyistドメイン上で、
b) メイン開発者が、
c) カルト宗教団体とみなされる事の多い団体の
d) 宣伝活動を、
e) たとえ日記と言う形においてでも行うことは、
f) Rubyの発展にとっては阻害要因にしかならない。
と思います。
  1. ドメイン名の所有者が自分のドメインで何をやろうが勝手だろうと思うのですが、rubyist.netの場合、わざわざRubyのオフィシャルな 活動のためにruby-lang.orgを用意した上で、さらに別にrubyist.netをその他の用途のために用意しているわけで、そこにまで文句を 言う必要はなかろうと思います。
  2. サブ開発者ならオッケー?
  3. 「カルト宗教団体」の定義は人による面も多くてなんとも言いかねるのですが、現在の末日聖徒イエス・キリスト教会はカルトではなかろうと私は判断しています。
    ユタ戦争のころまでなら私でもカルトだったと判断するんですけど。
  4. 宣伝活動もわかりやすいのからわかりにくいのまでいろいろあるわけですが、自分とこの教会がどこの教会かすら示してないのに何の宣伝になるんでしょう。どっかに書いてあったっけ?
  5. 日記なんだから何書いてもいいじゃん。
  6. 以上から、Matz日記の内容は別に阻害要因にはなっていないと考えます。
    本質的には、宗教と関係あろうがなかろうが、あるいはRuby自体について書いている内容ですら、「Rubyの発展」にとっての阻害要因になりうる可能性はありますけど、そういう漠然とした話ではないでしょうからそういう部分はオミットして考えます。
c)が特定の企業であっても、少なからず嫌悪感を抱く人はいるでしょうけど、こ
れが宗教団体、しかもカルト宗教とみなされることが多い団体であれば、嫌悪感
を抱き関係を持ちたくないと考える人が、より多くなるのは当然です。少なくと
も、モルモン教の話題を出すことによるプラス要因とマイナス要因では、後者の
方が大きいかと思います。
プラス要因は特に思いつかないですし、こんな話を持ち出す人もいるんだからマイナス要因はゼロじゃないんだろうとも思うので、後者の方が大きいのではないかとはという予測には私も同意できますが、いずれにせよ無視してかまわない程度なんじゃないかとも思います。
そこで、Rubyの一利用者としては、rubyistサーバー上から、モルモン教に関す
る記述を全て削除し、別の日記として公開すべきだと思うのですが、どうでしょ
うか?
それとともに、rubyistサーバーやRAA利用のガイドラインとして、特定の政党や
宗教との分離を掲げる方が良いのでは無いかと思いますが、いかがでしょう?
なんでそんなにrubyist.netでやっちゃいけないことにしたがるのかが私にはわからないんですが、特定の政党や宗教との分離を利用のガイドラインに含めること自体が既にオープンソース的ではないと私は考えます。
なお、MLに投稿した動機についてですが、Matz氏の日記にコメントを行ったとこ
ろ、予告もなしに一方的に削除されたため、「Matz氏はオープンな議論を行う気
が無い」と判断したからであり、公平性を担保するためです(別に、自分のサイ
トでも良かったのですが、とりあえず)。
どんなコメントを書いたのか知らないですが、個人の日記は「オープンな議論を行う」サイトじゃないですしねえ。
削除したということすら書かれてないのかと思ったら、そういうわけでもなさそうですし。
コメントの一括削除はスマートな行為ではないと私も思いますが、自分とこの日記のコメント欄で意図しない議論が行われていたら削除しちゃうってのはごく普通の対応であろうと私は思います。

May.23,2006 (Tue)

Revision: 1.1 (May.23,2006 16:09)

釣られてしまう

_ 結局MLにも投げてしまった。だめだめだ。
このブログ記事は、吉本氏の論点の誤りを鋭く指摘していると考えてよい。

ちなみに、「Matz氏の日記にコメントを行ったところ、予告もなしに一方的に削除された」と吉本氏が主張したところ、 「削除したということすら書かれてないのかと思ったら、そういうわけでもなさそうですし」と書かれている。

該当する日記は、「Matzにっき  2006-05-07 [教会]断食安息日」のようだ。

_ [教会]断食安息日

司会。
一人の人の証が印象的であった。 最近バプテスマを受けたこの人は 「私は教義よりもむしろ教会の人の人となりを見て教会に入りました。 聖書についてはこれから勉強します」とのこと。
それって、すごく嬉しいことだが、同時にちょっと恐いことでもある。 私たちの行いが教会やキリスト教を代表していることになるからだ。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
[マタイ 7:20 より引用]
夕方、次女がふらふらになっている。 そんなにしんどいなら断食しなくてもいいよ、と言ったのだが、 一度決めたから、と聞かない。
決意が堅いのは尊敬に値するけど、 そんなに無理をすることも無いような気もする。 あと、半日でそんなにふらふらになるようでは 本当に飢餓が来たらどうなるんだろうか。
(追記) 元々この「にっき」では教義的な話をしないつもりでいたのですが、コメントでは質問されるままにかなり難しい話を書いてしまいました。しかも、私の至らな さで前提を共有しない人にはかえって混乱を招いたり、誤解を増長したりする返答になってしまったようです。不愉快に感じた方がいらっしゃればおわびしま す。コメント欄は削除することにします。 以後、教義的な点について話したい、指摘したい、などの人がいれば、コメント欄ではなく私信でお願いします。
個人のブログなり日記が開設者自身の管理下にあることを踏まえれば、削除の理由はもっともなものだと思える。不愉快に感じるような読者が想定されるようなやりとりをする相手の意見を削除するのは致し方ないことだろう。

(おそらくコメント欄では、「お前はキリスト教というがカルト教団モルモン教じゃないか」というような指摘を行ったものの、反駁されたのだと思われるが、これはあくまでもメーリングリストでのやりとりからの推測にすぎないので断定はできない)

だが、ここに吉本氏のもう一つの矛盾が現れる。吉本氏は「他人の日記にコメントを行ったところ、予告もなしに一方的に削除された」ことから、その相手は「オープンな議論を行う気が無い」と判断したと述べている。

では、吉本氏が自分のコメント欄を「荒らされた」と主張して(あるいは主張もせずに)コメントを削除し、さらに「ストーカーに荒らされました」というブログ記事を立てるのはどうなのか。吉本氏は「オープンな議論を行う気が無い」のだと我々は判断せざるをえない。

参照→最近、ネットストーカーが発生してコメント欄を荒らしています

リモートホストなどの接続情報は提示するが、具体的にどのような内容が「荒らし」なのかはわからないようにしておいて、「ネットストーカーに自分は攻撃されている」という被害者商法を展開する。これは「コメントを予告もなしに一方的に削除」したのではないのか。

いや、「荒らし」なら仕方ないだろう、という声もあろう。もちろんspamであれば削除すればいい。だが、spamではなく「ネットストーカー」というのだから、自分に批判的な内容のはずだ。もちろん、自分にとって不快なコメントを削除する権利は誰にでもある。しかし、その権利を行使するなら、「自分のコメントが予告もなしに一方的に削除」されたことを憤り、相手に対して「オープンな議論を行う気がない」と決めつけ、メーリングリストに怒りに任せて投稿した挙げ句、四方八方から槍玉に挙げられるようなマネをするべきではないと考えるのは私だけだろうか。

ちなみに、削除されたというコメントにはこのようなものがある、という情報もある。

http://blog.a902.net/topics/2013/0129.html
http://blog.a902.net/topics/2013/0530.html
http://blog.a902.net/topics/2013/0820.html
→ 結局、どの事件も相手方の主張が認められ、仮処分命令が発令されたんだって?
自分に都合の悪いことは書かない吉本敏洋( ´_ゝ`)プッ

https://twitter.com/a902/status/374382849505239040
→ またも敗訴したんだって?
自分に都合の悪いことは書かない吉本敏洋( ´_ゝ`)プッ 
これに対して、コメントを書き込んだと思われる人物は次のように述べている。
自分を批判するコメントが書かれるたびに、
”ネットストーカーによるコメント荒らし”と
もっともらしい理屈を付けては削除している。
全てのコメントを放置するか、書き込みを禁止するか、どっちかにすれば良いのに、
一番やってはいけない「恣意の選択」を行っている。
「ネット上の表現の自由」と称して、好き勝手に他者の情報を晒し続けてきた吉本なのに、
完全に自己矛盾している。 
 以上の「削除されたというコメント」は2ちゃんねる情報であるから信憑性は高くないが、少なくともこのコメント者の言い分に賛同したい。

最後に念のため補足しておくが、この「ネットストーカー」とされた人物はこのブログの書き手ではない。a902ブログに投稿したことは一度もない。足跡を残せば吉本敏洋氏に「ネットストーカー」呼ばわりされて名誉毀損されることは目に見えているからだ。

自分への批判者を少なく見積もるのは、あるいは、そのようにギャラリーに印象づけようとするのは、吉本氏のいつもの悪い癖である。

この項続く。